202110月20日

【学びの場をもっと多様に】

私の名前こそ「まなぶ」ではありますが、決してその学びの道は順調でも平坦でもありませんでした。
不登校の時期があったり、退学を考えたり、入り直したり。自分の甘えとこだわりが入り混じった紆余曲折の過去でした。それは、決して私だけではないと思います。妻も同様で、親の都合で転校を繰り返したのちに通っていた中学校。強い管理姿勢に耐えられず不登校に。その後進学した高校も同様の理由で中退しています。
いじめがあったり、先生とうまくいかなかったり、学びたいことが違ったり、学びたい時期が遅れてやってきたり。人生にとって学ぶことの重要さに議論の余地はありません。
だからこそ、その学びに関して、人それぞれの興味と関心にあった多様な選択肢を用意すること、そして大人になってからも、例え一度学校のレールから外れても、学びたいと思ったタイミングで学び始めることができる社会を作りたいと思っています。
そのために、文科省に働きかけ、超党派で議連を運営し、法律を作り、民間で取り組む同志の方々を応援しています。
 
学校も大事。そして学校以外の学びの場も、同じくらい大事。
学校に馴染めない、通わない子供たちに居場所と、学校とは違った学びの場を提供したい。子供の想いをできるだけ尊重するために、学びの選択肢を出来るだけ多様にしたいと、長年フリースクールの支援に取り組んでいます。
今でこそフリースクールは学びの一つとして市民権を得つつありますが、私が取り組みを始めた10年以上前は、支援を求めようにも「学校ではないので、所管する部署がありません」と文科省は取り合ってもくれませんでした。
それでも粘り強く交渉することで、ようやく生涯学習の一部として生涯学習局が所管することになり、多くの関係者や与野党議員が団結して「子供に対する教育の場である」と強く訴え続けたことで、今は学校教育と同じ初等中等局が所管しています。
フリースクールに通う子供たちにも学割を支給するという提案から始まり、フリースクールも(ホームティーチングも)、学校と同じ学ぶ場なのだとうたう「教育機会確保法」を議員立法で成立させるまで理解の輪は広がってきました。
それでもまだ、不登校児には「学校に(だけ)通うことが子供の使命」「不登校は不健全」「学校に復帰するのがゴール」と学校側、地域の目、親の気持ちが向けられているのも事実です。 その中で苦しみ、自分を失いつつある子供たちに対して、もっと多くの学びの場を提供してあげたいと思っています。
 
秋田や全国各地に頑張っているフリースクールがあります。
私が教えを乞いにに時折り足を運ぶのは沖縄県読谷村にある「よみたん自然学校」。
公共施設の一部を借りて学び舎を構え、一般的な学校教育とは全く違った教育を実践されています。
この学校の代表を務める小倉さんは、進学校から東大に進み、一流企業へ就職する、いわば日本の教育としては一つの目標とされた経歴の持ち主です。
その小倉さんが、日本の教育と違ったあり方を実践されていることに強く関心を持ちました。
その小倉さんが日本の教育についてテレビで発言されていたことは、こんなこと。
 
「大人の評価に子供が流されていくというかですね、それにまずひとつ疑問を感じているんです」
「これが好きとかっていうことではなくて、怒られるかもしれないから止めておこうとか、相手がどう評価するかっていうことが、第一に来てしまっているんですよね」
「こっちが『こういうものです。止めなさい』とか、『こういうものだからこうしなさい』っていうのを全部やっていると、ルールが無いと動けない人間になってしまうという気がするんです」
 
今ある学校を否定するつもりは全くありません。
学校もとても大事な学びの場です。
ですが、そこだけしか選択肢がないのは、これからの未来を築いていく子供たちにとって十分とは言えません。
自分にあった学びの場を見つけることができる、そんな社会を目指して支援していきます。
 
もう一つ、応援している学びの場があります。
そこを運営する藤岡さんは、私が政治に飛び込むきっかけをくれた先輩です。
「フジゼミ」という普通の名前ながら、受け入れている子供たち(時に大人たち)の個性と経歴の幅は普通ではありません。
少年院から出てきたばかりの男子、ひきこもりが続いていた子供、ホステスとして働きながら子供を育てているお母さん、暴力団から抜けてきた青年。
このフジゼミに当初集まった生徒たちは、多くは学習の機会を失い、または過ぎ去ってしまったのちに、改めて学ぼうという気持ちに火をつけた人たち。その想いに応えるべく、九九やabcから丁寧に指導して、大検を取得し大学に進学していく道を開いていくことを目標にしています。
当の藤岡さんも、有名私立中学校に通いながら道を外れ、非行の限りを繰り返し、高校を二回退学した張本人。でも、19歳のころ、違法のゲーム喫茶で店長をしながら、トイチの金貸しをしている最中、その喫茶のオーナーでもある恩人に言われた一言で人生が変わります。 「かっちゃん、あなたは私たちのような裏じゃなくて表で活躍する子。もっと大きな世界へ行きなさい」
そのような想いが詰まった言葉に背中を押してもらい、一念発起し大検を受験、東京の大学に進学した人です。その後は大手ゼネコンの大林組に入社し、漫画「サラリーマン金太郎」を地でいく出世を果たすも、ふるさとの広島県福山市を振り返った時に、仲間は、まだ昔と変わらぬ姿のままで、「自分が幸運にも受けたきっかけを、みんなにも」と、故郷の福山市に戻って、学習塾を立ち上げました。
そのような塾を応援したく、私自身、立ち上げの時も、そして節目節目に、個人、議員の立場にとらわれずサポートしてきました。
大切なのは「つまずき 寄り道 回り道」という藤岡さん。
 
フジゼミを立ち上げて15年以上、多くの子供たち、時に大人たちに学習の場を提供し、つまずいた子を、寄り道している子を、回り道して疲れている子をサポートしてきました。
 
この二つ以外にも、本当に多くの方々が、学校以外で学びの場を提供してくれています。
今の永田町や霞ヶ関にいる人たちは日本の教育システムから外れることなく、そこで成功してきた人たちの集まりです。なので正直なかなか理解してもらえないこともあります。
自分自身のリズムと感性で成長していく子供たちが、一人でも多く楽しく安心して学んでいけるように、学校の仕組み、受験の仕組み、働き方の仕組みを柔軟にしていく努力を続けていきたいと思います。
 
写真:藤岡さんと私。学びの現場から背中を押してくれる頼もしい同志です。

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