政治の世界に飛び込んでから絶えず取り組み続けている課題、これからも取り組み続ける課題、いわば政治家としてのライフワークについてこちらでご紹介したいと思います。
その一つひとつは、私自身の経験や価値観に強く結びついているものです。
年金問題や外交問題など、議員であれば誰しも取り組む課題については、様々な角度で活発な議論が行われております。しかし、政治との距離が遠かったり、政治が定めてきた「標準」とは異なる境遇であったり、そして、政治からは余り存在しないと考えられている分野においては、700人近い国会議員がいながらも、取り組む人が少ないのが現実です。
いまの政治から見えていない、ひとりで苦しむ人に寄り添って一緒に解決・改善に取り組んでいくこと。それが私のライフワークです。

  • まずは、私の音楽との歩みを。
    音楽に対する愛が溢れ始めたのは高校時代から。
    演奏はせず、聞く側ばかりだったが、当時インターネットも大きいレコードショップもなかった秋田県横手市で洋楽雑誌を読み漁り、テレビの深夜番組で情報を収集していました。デビューしたてのOasisに衝撃をうけ、Arrested Developmentでヒップホップの扉が開かれた後はBeastie Boys、Wu-Tang Clanと趣味は広がっていきました。

    絶えず音楽と共にいることが当たり前になり、音楽を口ずさみ、自然と体が動く感覚は誰に教わることもなくとも人間に元々備わっているものだと体感する頃でした。

    大学生として東京に住み、いよいよライブに出会います。最初に観たのは東京スカパラダイスオーケストラ。イヤホンで聴く音楽とは別次元の目と耳と体で感じる音楽に一瞬で虜に。当時夢中になっていたブラフマンからバックドロップボムなど、いわゆるAIRJAM系のライブには好んで通っていました。当時、頭髪はかなり明るく、耳にはボディピアスが。。。

    社会人となり、お酒の楽しみを知ったこともあって、音楽の舞台はクラブへ。会社員であったときも、そして国会議員になってからも自分が好きなイベントやDJが来日した時には友人や妻と共に音楽に浸りました。 朝まで踊って、朝日と共に歩く帰路は、程よい疲労と満足感に満たされた特別なものでした。
    当時も今でも一番好きなのは、LUCIANO。日本でも、イビサ島のPachaでもプレイを体感しました。

    子供ができてからは、家族全員でフェスに。フジロックをはじめ、Rainbow DIsco Clubには幾度となく通いました。自然の中で太陽と、雨と、ご飯に囲まれる独特の空間は、音楽にとどまらない素晴らしい空間をつくります。

    音楽は、人生にとって共にある当然の存在。
    NO music NO life!

  • 2012年。大阪のクラブ「NOON」が風営法違反で摘発されたことを受け(最終的には無罪)、風営法に関する疑問や改正要望が高まり始めました。音楽を愛する仲間が集い、最高の一時をつくる場所たるクラブが営業できなくなるかもしれない。そのような不安を抱く方々から想いを受け取り、政府与党の一員として、何よりクラブを愛する一人として、他党に呼びかけクラブへの理解と必要な法改正を訴えていきました。党派を超えて賛同する議員が増え、国会内で勉強会を開催したり、国会外のシンポジウムにパネラーとして参加。後の風営法改正の機運を導く立ち上げに全力で取り組みました。
    その後、選挙で無念の落選。私の想いは残された同志の方々に引き継いでもらい、国会では引き続き与野党共に風営法改正の動きが続きます。故小坂憲次先生を中心に、多くの議員や関係者の努力が実り、法改正への道筋が着実に築かれていきました。2年間の浪人期間を経て、私が国会に戻った頃には改正法案の内容は大筋決まり、その後の国会で成立。大きな一歩となった反面、いまだ「夜、暗闇でお酒を飲みながら男女が楽しむと悪いことが起きる」という警察当局の先入観は払拭できず、本当の意味でのクラブの良さを守る法改正とは言えない部分が残りますが、それでも、画期的な一歩と思います。法改正の機運の立ち上げに関与した者として、そして何より音楽とクラブを愛する一人として、この問題は引き続き取り組んでいきたいと思っています。

  • 2020年、突如として世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症。この感染症は人が集うことによって拡散されることから、政府は、感染拡大が懸念された2020年春からライブハウスやフェスなどのお店やイベントに自粛要請をし始めました。感染拡大は望まない、しかし、私たちにも生活がある、そのような狭間で苦しむ音楽関係者の声を受け、政府に援助を要請すべく日本が誇るトップDJにご足労願い、菅官房長官(当時・現総理)に要請する場を設定しました。ライブハウス、音響、設備、アーティスト等、業界団体を持つ他の業種と違い、政府や政治との関わりが今までなかった人たちに、他の業界と同様にしっかりとした政府支援が行われるよう、強く働きかけました。このDJと政府首脳部との2ショットは大きな波紋を呼び、「Save Our Space」として多くの他のジャンルとも協調し声を広げていきました。結果の一つとして持続化給付金という使い勝手の良い支援メニューは確立されましたが、音楽業界が被っている損失はおよそそれではおさまらず、一層の支援が求められます。コロナ禍によって音楽の火を絶やしてはいけない、その気持ちを忘れず今後も取り組んでいきたいと思っています。

    この時の活動がきっかけで、web雑誌のインタビューを受けました。

  • 私の名前こそ「まなぶ」ではありますが、決してその学びの道は順調でも平坦でもありませんでした。学びの中心的な存在の学校に関しても、不登校の時期があったり、退学を考えたり、入り直したり。自分の甘えとこだわりが入り混じった紆余曲折の過去でした。それは、決して私だけではないと思います。妻も同様で、親の都合で転校を繰り返したのちに通っていた中学校。強い管理姿勢に耐えられず不登校に。その後進学した高校も同様の理由で中退しています。いじめがあったり、先生とうまくいかなかったり、学びたいことが違ったり、学びたい時期が遅れてやってきたり。人生にとって学ぶことの重要さに議論の余地はありません。だからこそ、その学びに関して、人それぞれの興味と関心にあった多様な選択肢を用意すること、そして大人になってからも、例え一度学校のレールから外れても、学びたいと思ったタイミングで学び始めることができる社会を作りたいと思っています。そのために、文科省に働きかけ、超党派で議連を運営し、法律を作り、民間で取り組む同志の方々を応援しています。

  • 学校も大事。そして学校以外の学びの場も、同じくらい大事。学校に馴染めない、通わない子供たちに居場所と、学校とは違った学びの場を提供したい。子供の想いをできるだけ尊重するために、学びの選択肢を出来るだけ多様にしたいと、長年フリースクールの支援に取り組んでいます。
    今でこそフリースクールは学びの一つとして市民権を得つつありますが、ひと昔、フリースクールは不登校児が通う場所として知られていました。私が取り組みを始めた10年以上前は支援を求めようにも「学校ではないので、所管する部署がありません」と、文科省は取り合ってもくれませんでした。それでも粘り強く交渉することで、ようやく生涯学習の一部として生涯学習局が所管することになり、多くの関係者や与野党議員が団結して「子供に対する教育の場である」と強く訴え続けたことで、今は学校教育と同じ初等中等局が所管しています。
    フリースクールに通う子供たちにも学割を支給するという提案から始まり、フリースクールも(ホームティーチングも)、学校と同じ学ぶ場なのだとうたう「教育機会確保法」を議員立法で成立させるまで理解の輪は広がってきました。
    それでもまだ、不登校児には「学校に(だけ)通うことが子供の使命」「不登校は不健全」「学校に復帰するのがゴール」と学校側、地域の目、親の気持ちが向けられているのも事実です。 その中で苦しみ、自分を失いつつある子供たちに対して、もっと多くの学びの場を提供してあげたいと思っています。

    一つ、具体的に応援しているフリースクールがあります。
    それは、沖縄県読谷村にある「よみたん自然学校」。
    公共施設の一部を借りて学び舎を構え、一般的な学校教育とは全く違った教育を実践されています。
    この学校の代表を務める小倉さんは、進学校から東大に進み、一流企業へ就職する、いわば日本の教育としては一つの目標とされた経歴の持ち主です。
    その小倉さんが、日本の教育と違ったあり方を実践されていることに強く関心を持ちました。
    10年近く、毎年沖縄を訪問し、学校の現状と、日本の教育への想いを伺っています。

    その小倉さんが日本の教育についてテレビで発言されていたことは、こんなこと。

    「大人の評価に子供が流されていくというかですね、それにまずひとつ疑問を感じているんです」
    「これが好きとかっていうことではなくて、怒られるかもしれないから止めておこうとか、相手がどう評価するかっていうことが、第一に来てしまっているんですよね」
    「こっちが『こういうものです。止めなさい』とか、『こういうものだからこうしなさい』っていうのを
    全部やっていると、ルールが無いと動けない人間になってしまうという気がするんです」

    今ある学校を否定するつもりはありません。
    学校もとても大事な学びの場です。
    ですが、そこだけしか選択肢がないのは、これからの未来を築いていく子供たちにとって十分とは言えません。
    自分にあった学びの場を見つけることができる、そんな社会を目指して支援していきます。

  • もう一つ、応援している学びの場があります。
    そこを運営する藤岡さんは、私が政治に飛び込むきっかけをくれた先輩です。
    「フジゼミ」という普通の名前ながら、受け入れている子供たち(時に大人たち)の個性と経歴の幅は普通ではありません。
    少年院から出てきたばかりの男子、ひきこもりが続いていた子供、ホステスとして働きながら子供を育てているお母さん、暴力団から抜けてきた青年。このフジゼミに当初集まった生徒たちは、多くは学習の機会を失い、または過ぎ去ってしまったのちに、改めて学ぼうという気持ちに火をつけた人たち。その想いに応えるべく、九九やabcから丁寧に指導して、大検を取得し大学に進学していく道を開いていくことを目標にしています。
    当の藤岡さんも、有名私立中学校に通いながら道を外れ、非行の限りを繰り返し、高校を二回退学した張本人。でも、19歳のころ、違法のゲーム喫茶で店長をしながら、トイチの金貸しをしている最中、その喫茶のオーナーでもある恩人に言われた一言で人生が変わります。 「かっちゃん、あなたは私たちのような裏じゃなくて表で活躍する子。もっと大きな世界へ行きなさい」
    そのような想いが詰まった言葉に背中を押してもらい、一念発起し大検を受験、東京の大学に進学した人です。その後は大手ゼネコンの大林組に入社し、漫画「サラリーマン金太郎」を地でいく出世を果たすも、ふるさとの広島県福山市を振り返った時に、仲間は、まだ昔と変わらぬ姿のままで、「自分が幸運にも受けたきっかけを、みんなにも」と、故郷の福山市に戻って、学習塾を立ち上げました。
    そのような塾を応援したく、私自身、立ち上げの時も、そして節目節目に、個人、議員の立場にとらわれずサポートしてきました。

    大切なのは「つまずき 寄り道 回り道」という藤岡さん。
    フジゼミを立ち上げて15年以上、多くの子供たち、時に大人たちに学習の場を提供し、つまずいた子を、寄り道している子を、回り道して疲れている子をサポートしてきました。

    この二つ以外にも、本当に多くの方々が、学校以外で学びの場を提供してくれています。

    自分自身のリズムと感性で成長していく子供たちが、楽しく安心して学んでいけるように、学校の仕組み、受験の仕組み、働き方の仕組みを柔軟にしていく努力を続けていきたいと思います。

  • 「被害者側って、みんなが想像するより辛い。自分がその立場になるまでは想像すらしなかったが」。
    親友の言葉です。私が性犯罪対策に真剣に取り組む契機となったのは、その親友の娘さんが性被害に遭ったことでした。加害者は、娘さんの友人の父親。娘さん同士が仲良しでお泊まりをしている時の犯行でした。

    性犯罪は、被害者の身に突如として降りかかり、心と体に深刻な傷跡を残す残酷な犯罪です。一度被害に遭えば、その傷はなかなか癒えるものではありません。しかし、現状の法律は被害の実態に沿ったものではなく、加えて警察、検察の対応も不十分で、被害者が泣き寝入りを迫られるケースが多くあります。
    内閣府の調査によれば、全国20歳以上の女性約 14 人に1人は無理やり性交等をされた経験があると答え、被害を受けた女性の約6割はどこにも相談していないと回答。専門家からは、性犯罪のうち実際に認知され処罰を受けているのは1割にも満たないとの指摘もあります。
    全ての性暴力が性犯罪として捉えられてない現状に気付かされ、改善することを心に誓いました。

  • 性被害当事者支援団体の皆さんと

    まず初めに取り組んだのが性交同意年齢の引き上げ。
    「いまの法律では、恋愛に基づく同意があれば成人が中学生と性行為をしても罪に問われない」。
    私がこう説明すると多く方が「まさか」と言う顔で絶句します。しかし、日本の刑法で性行為の同意能力があるとされる年齢は13歳。それは、小学校を卒業したばかりの中学生でも性行為に同意する能力があることを意味し、性行為を中学生自身が強く拒否しない限り、同意があったとして加害者は罪に問われません。そして、恋愛関係における同意があれば罪に問われず、その恋愛に付け込んで性搾取を重ねる成人が後を絶ちません。いわば、13歳になった途端に国は保護を緩めてしまうのです。

    性交同意年齢を引き上げて子供達を守るべきだ。そのような声が多く寄せられるにもかかわらず、数年前の刑法改正でも、この性交同意年齢の引き上げは実現しませんでした。それは「成人と中学生にも真摯な恋愛はありうるから、性行為を罰するのはおかしい」と考える刑法学者や法曹関係者、政治家らが反対したからです。

    私は、そもそも成人と中学生の間には圧倒的な立場と環境の差があり、たとえ年齢差が小さい間柄であっても、決して対等にはなり得ないと考えます。そのような非対等な関係の中で、未成熟な中学生が性行為に関し真の同意が行えるとするのは成人側の勝手な思い込みであり、恋愛関係であれば中学生も性行為をしたいはずと考えるのも、完全に男性本位の発想であると考えます。 義務教育下で、働く自由も、経済的な余裕も、移住の自由もない中で、そして性に関する十分な知識も備わっていない中で、成人が中学生に妊娠という大きな負担を負わせることを、例外的にでも認める理由はありません。

    党内に法改正に向けたワーキングチームを立ち上げ、性交同意年齢の引き上げを提案しました。党内でも一部の議員からは根強い反対の意見がありましたが、中学生の子供を性被害から守ることを何よりも優先すべきと考え、最終的にはワーキングチームの座長として「成人は、いかなる理由をもっても中学生以下を性行為の対象にしてはならない」と方針を定めました。その後、党内での議論が重ねられ、結果的に他党に先駆けて性交同意年齢の引き上げを党の公約にすることができました。いまだ法務省の検討会でも他党でも意見が分かれる中で、政党が引き上げの姿勢を示したことは法改正にむけた大きな一歩になったと確信しています。
    その後、「私たちを法律で守ってほしい」と訴える中学生から相談を受けたり、実際に性被害にあった高校生と面談したりと、多くの方々と共に努力する機運が高まっていきました。 これらの機運とともに、性交同意年齢の引き上げは、他党にも働きかけて必ず実現したいと思います。

    「性犯罪から子供を守る」をテーマにした番組に出演

    性犯罪に関する問題は、性交同意年齢だけではありません。
    裁判で抵抗できないほどの暴行や脅迫があったことを立証できなければ、不同意であっても罪にならないこと。障がいがあることに付け込んだ性暴力が多く存在すること。先生やスポーツなどの指導者と生徒、上司と部下といった地位関係性を利用しての性暴力。性被害の証拠を保全する体制が整っていないこと。子供の時に遭った被害を被害であると認知した時には既に時効になっているということ等々、問題は山積しています。

    全ての性暴力が、性犯罪として捉えられること。そして、性犯罪被害が根絶されること。
    これからも性犯罪被害の実態に寄り添い、法改正と運用改善を働きかけて参ります。

    One is too many
    性犯罪被害者は一人でも多すぎる

    性暴力は人権侵害の最たるものです。男性ばかりの国会で正面から論じられてこなかった問題ではありますが、国として誰を守るべきなのか、法と論理を誰のために使うのかを間違えず、信念を持って活動していきたいと思います。