一部報道にもありましたとおり、私は次期衆議院選挙には立候補せず、現在いただいている任期を全うし、国民の皆様のために全力を尽くしたのち、政治の世界から引退いたします。
6年前、妻が参議院議員に当選し夫婦で国会議員となって以来、互いの国会活動や地元活動に加え、家事と育児の両立に取り組んでまいりました。
しかし現実には、夫婦ともに平日は朝から夜まで予定が入り、また毎週末には選挙区に戻っての公務や次期選挙に向けた活動が続き、子育てに少なからず影響を及ぼしておりました。
子どもが幼かった頃は週末に一緒に秋田へ戻ることもできましたが、成長するにつれ学校行事や子どもの予定が増え、やりくりできない場合には子どもに我慢を強いるような生活が続いておりました。
「秋田で子育てを」とのお声も頂戴しましたが、職務上、平日は夫婦ともに業務のため東京を離れることができず、かといって地元の実家に頼ろうにも両親はすでに80歳を超え、子育てを任せることは難しい状況でした。
今年に入ってからは母自身も体力の衰えからサポートが必要となり、協力的でない父に代わって姉が支えてくれていましたが、その姉も過労で一時入院するなど苦労が続き、私が国会の合間を縫って東京から幾度となく駆けつける日々もありました。
限られた時間と労力の中で、家事や子育て、そして介護を両立させることはほぼ不可能であり、とはいえ地元活動を中途半端に続けることも望ましい形ではなく、以前から県民・国民の皆様に対して申し訳ない気持ちを夫婦ともに強く抱いておりました。
そこで私は、現在の任期をもって政治の世界から退くことを前提に、妻の政治活動を優先するため、家事や育児の負担を一層私が担うことを提案いたしました。
再選を果たした先の参議院選挙でも、妻にしか開けない県民の心の扉があることを痛感し、これから始まる2期目の6年間を精一杯頑張ってほしいと考えたからでもあります。
妻としては、自分が優先されることに大きな心苦しさがあったものの、先の選挙で賜った多くのお声に全力で応えたいとの想いもあり、苦悩と長い話し合いの末に受け入れてくれました。
振り返れば、2003年に27歳で初当選させていただいて以来、一度の落選を挟みながらも7度の当選を重ね、20年以上にわたり衆議院議員を務めさせていただきました。その間に培った経験やご縁は非常に貴重なものであり、可能であれば議員を続けたいという想いももちろんありました。
ただ、これまで申し上げた事情を鑑みると、今の時点ではこの判断が私にとって最も大切なものと考えております。
また、常在戦場ともいえる衆議院においては常に次の選挙が迫ってくるため、総裁選後の政局が動く前に皆様へお伝えしようと判断いたしました。
なお、この判断については、野田代表には先月初めに人事の打診をいただいた際にお伝えし、また安住幹事長にも先日ご報告いたしました。さらに地元県連の幹部にも説明のうえ、次期衆議院選挙に向けて候補者の選定をお願いしているところです。
今回の判断は、夫婦で国会議員を務めるという特殊な環境において至った結論ではありますが、同時に多くの共働き子育て家庭でも日々直面している葛藤であるとも思います。ライフステージの変化の中で、どちらかが(多くの場合は女性が)キャリアを諦めたり、育児や介護のために職を離れることは少なくありません。
そのようなことができる限り起こらないよう社会制度を整えていくことは、引き続き任期中に取り組むべき課題であり、その後は6年間務める妻を通じて実現を目指してまいります。
また、私自身がライフワークとして取り組んできた「教育の多様化」「性犯罪の根絶」「音楽を楽しむ環境づくり」については、議員を離れた後も取り組んでまいりたいと考えております。
そして何より、長年支えてくださった故郷・秋田の発展のために、形は変わりますが、引き続き尽力してまいります。
突然のご報告となりましたことを心よりお詫び申し上げるとともに、長年お支えいただいた多くの皆様に心から御礼を申し上げます。
残された任期の間、一生懸命努めてまいりますので、引き続きご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
令和7年9月19日
寺田 学