202104月09日

【少年法は誰のものか】

「少年による犯罪が年々増えているか」と聞かれると多くの方は「YES」と答えると思う。
実態は、大きく異なる。
30年前と比べ、少年による刑法犯数は3分の1以下になり、全犯罪に対する少年犯罪の割合も同様に激減している。

また「少年犯罪は凶悪化しているか」と問われると、時としてワイドショーなどで取り上げられることもあり、これも「YES」と多くの方は思うかもしれない。
しかし、これもまた実態は大きく異なる。

少年による殺人事件数は年々激減している。激減した中で起こる殺人事件の大半が親や親族が対象で、残りが嬰児(出産直後の子供)殺人で、第三者への殺人は年に数件となっている。

それらの実態にも関わらず「少年犯罪は増加し、凶悪な事件が多発している」という幻想は膨らみ続け、「厳罰化すべきだ!」という解決策としても誤った言説が勢いを持ち、感情によって法律が動かされている現実は否めない。

<少年法第1条>
この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

本来、少年法が改正されるとすれば、この少年法第1条の趣旨が一層効果的に拡充されるためになされるべきである。

それにも関わらず、いま語られる改正理由の多くは、「成人年齢が18歳に引き下げられる民法、公選法等との整合性」「わかりやすさ」「バランス」という対外的、副次的理由が多い。
民法による成人年齢が引き下げられたことは事実であるし、公選法の改正によって18歳から投票できるようになった。ただ、それは少年法自体にしてみれば対外的、副次的な変化であって、法本来の趣旨が損なわれてまで改正されることではない。

少年法は、対象となる少年達のための法案なのだ。

今回の法改正によっても、18歳、19歳は「未だ成長途上にあり」「可塑性(更生可能性)に富む」から「引き続き少年法の枠組みに入れ」た。そこは素直に評価したい。
もちろん、それら少年の根幹部分が時代によって変遷し、可塑性がなくなった、成長したと前提を変えるならば本質的議論の範疇だが、それ以外の理由で改正されるのであれば、それは、少年の実態に基づかない単なる「大人の事情」による改正で、そのような態度こそが、苦しい背景を背負って非行に走る少年たちの心を閉ざすことになる。

この審議で、何が法務委員から語られるかは、この少年たちや、その更生教育をに関わる人たちから厳しく問われていると思う。

唐突だが、
私は、この少年法は非行少年たちにとって、昔で言うところの「金八先生」であり、私の世代では「GTO」だと思う。若い世代であれば、「ごくせん」であろう。
時代を超えて国民から愛され支持されるこれらのドラマは普遍的である。

学校の中で、非行行動を起こす問題児に対し、正面から向き合うことなく、世間体を気にして退学させようとする普通の先生がいる中で、ドラマの主人公は、本気で非行少年たち、問題を抱える少年たちに向き合ってきた。
世間体もおそれず真の大人が少年本人に真正面から向き合うことで、ようやくその閉ざされた心を開いて、問題行動がやみ、社会を大人を信じて更生していく。

実社会にいて、そのドラマような真の大人による更生の機会を、問題行動や犯罪を繰り返す少年に与えてきたのが、少年法であった。
少年法は、刑罰よりも、少年たちに向き合う大人たちによって、徹底的に内省をもとめる金八先生やGTOであった。

実際、その少年法の趣旨によって救われた人は多い。
その中の一人、高坂朝人さんは数々の犯罪行為を繰り返してきたが、ある人との出会いが転機となったという。

それは、2度目の少年院送致が決まる前の少年審判でのこと。高坂さん自身は「箔(はく)をつけたい」と考え、「少年院ではなく刑務所にいきたい」と自ら希望した。しかしその時、自分の担当となった女性の家裁調査官が裁判官に向かって涙ながらに訴えたことは真逆であった。「少年院送致にしてください。この子は絶対に立ち直れる」。高坂さんは「こんな大人がいるんだ」と思ったという。

今回の法改正を議論する法務委員会の委員長は自民党の義家氏。
以前はヤンキー先生としてしられ、自らの不良体験と更生の道筋を踏まえ、多くの不良少年たちと向き合ってきた。
今回、異例ではあるが審議の中で「なぜ委員長は更生できたのか」を聞いた。
その答えはとてもシンプルなもので「人との出会いです」とのことだった。
先の高坂さんが出会った家裁調査員のように。

「少年院は楽な刑務所という人がいますが、全然違う」と語るのは、少年院経験をもつアイドルの戦慄かなのさん。
「ある意味、少年院のほうが辛いと思う。自分の行動や自分と、嫌でも向き合わないといけないから。刑務所は満期になれば出られるが、少年院は内省できないと無理です」と。

ここにあげた三名の方に共通するのは、厳しい家庭環境の中で育った過去をもつこと、その後、不良と言われたり、犯罪を犯すに至ったり道を大きく踏み外していったこと、それでも、人との出会いや、徹底的な内省によって、更生のきっかけを得たということ。

皆、平坦ではないが、人を信じることができず苦しみながら、最後は人によって助けられ、今は人を信じることを訴えている。
大きな成果が、少年法にはあった。
それなのに、今回の法改正は更生の機会となる人の出会いや、内省の機会を少年たちから奪いかねないものとなっている。

そもそも、今回の法改正は、世論の雰囲気を象徴した厳罰化と、少年法が元来持ち合わせる保護主義という、対立する価値観が真っ向からぶつかりあった為に、少年法そのものの立法趣旨によるものではない政治的な決着がなされ、その結果、法改正の内容がチグハグなものになっている。そして、そのチグハグさによる不利益を、可塑性ある少年たちが負う仕組みとなっている。
大人の都合のしわ寄せが、法が対象とする少年たちに向けられるのは本末転倒甚だしい。

厳罰化を求める意見に、「被害者の声を尊重すべき」という声も多い。
被害者の視点は非常に大事な指摘と考えている。
そして、その視点の本質は、先日開かれた参考人質疑でよく理解できた。

被害者遺族の武参考人が自身の気持ちを話され、被害者の会として少年法の厳罰化を求める理由としてあげたことに、本質があったように思う。「加害少年の心からの反省、謝罪がないから」「(お詫びの表れとしての)賠償金の完済がなされていない」、そして、もう二度とこのような思いをする人をなくしたいという気持ちからの再犯の防止だった。

今回の法律案は、被害者の視点を大事にすると唱えながら、その被害者視点を表層的に捉えた結果、参考人質疑でも述べられていた「心からの反省と謝罪」「賠償金の完済」「同じ苦しみを受ける人をできる限り減らす」との被害者や、その家族らから寄せられた本質的な思いを成就させる内容となっておらず、むしろ、改正によって逆送範囲(刑事処分範囲)を広めたことで、反省と謝罪を導く内省の機会を減らし、職業選択の道を制限することで、真摯な反省のもとに賠償金を払っていく為の社会復帰機会を狭め、再犯を減らす少年院送致や虞犯少年を保護から除外することで、犯罪を未然に防ぐ機能を縮減させ、新たな被害者を増やしうる内容となってしまっている。
結局、被害者やその家族にとっても真に納得できる内容にもなっていない。

やはりここも、価値対立を安易に折衷したことが、被害者にも、そして社会にとっても好ましくない未来を生むのではないかと、強く懸念する。

法案提出に向け、政府や与党の中で多くの議論が重ねられたものだ、とその経緯に胸をはる方がいる。
しかしそこに、少年法本来の趣旨、まさしく、様々な事情を抱えて非行に走った少年たちの内省と更生を支え、真の意味での被害者の想いにそう視点があったのか。
議論をまとめることに終始したあまり、それらの視点を忘れた妥協の産物が、結局のところ、新たな苦しみを増やしていくとすれば、何のための法改正であるのだろうか。

残された時間は多くはないが、徹底的に議論し修正を求めていきたい。

質疑動画はこちらからご覧いただけます。
https://www.facebook.com/teratamanabu/videos/475924570279577/

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