202305月26日

【性犯罪刑法、最後の質疑にて】

本日、性犯罪に係る刑法改正の法案が、修正協議を経て全会一致で可決されました。
 
性犯罪撲滅に取り組んできた一人として、そしてまた修正協議に関わった一人(写真のメンバーの一人)として、この時を迎えたことは感慨深いものがあります。
大きな法改正です。その法律を審議するにあたり、常に感じていたことを最後の質疑で述べました。
多少加筆修正いたしましたが、この法律の意義と、その法案に込めた想いを述べました。
お読み頂けたら幸甚です。
 
今回の法改正の中核的な要素は、性的同意というものを初めて本質的に理解し、法案に落とし込んだことだと思っています。
法案審議を行うかたわら、改めて自分自身の過去の性行為に関して、特に若いときに、その相手との性的同意がどういうものであったかということを改めて振り返りました。
相手の同意を得ずにしたことはないと私自身は確信しておりますが、自分が同意と思っていたそれは、相手が嫌がらなかった、又は拒否しなかったというもので、それ自体を、いや、本心は嫌がっていないはず、恥ずかしがっているだけなどと自分にとって都合のいい解釈をしていたのではないかと、正直、今も戸惑いがあります。
この性的同意に対する未熟な理解を基にした性行為というものは、一方の勝手な思い込みと過信でしかなくて、今落ち着いてそのときの相手の気持ちに立てば、拒否できない、怖い、嫌われたくない、言い出しにくい、そのような気持ちをただ表面化できていなかったのではないかと思わされ反省が募ります。私を含めて多くの大人たちが過去を振り返って、その在り方を、今回の法律を機に振り返るべきだと考えています。
 
それでも「大人同士の性的同意はあうんの呼吸なのだ」と主張する方も未だ多いでしょう。
私は、今回の法改正をもってなお、そのような認識でとどまっている人は、自分自身のコミュニケーション能力が乏しいということを気づくべきだと考えます。
今回の改正は、日常に暮らす方々に特段大きな負担を課すものではないと私は思っています。ただ単に、性行為に臨むに当たり、立場や相手との関係性を利用することもなく、酒の力も借りず、年齢差も利用せず、当然、お金で買うこともなく、相手の気持ちと立場を尊重して、丁寧に相手の同意を取って臨むことを求めているものにすぎないと思います。この要件に不安を覚える人は、性行為に及ぶこと自体を思いとどまるよう説くものでしかありません。
 
2年前、ある友人女性から言われたことが印象に残っています。
「女性は圧倒的な力の差から深層心理では常に男性から脅かされている存在。従って、一対一の状態で男性に対して自由に断れることはまずないという前提に立つべきだ。だからこそ、イエス・ミーンズ・イエスなのだ」と。
この言葉の通り、力の強い側から見るとおよそ対等だと思える環境であっても、力の弱い側から見ると対等ではないということは事実なのだと思います。
このこと自体は、裁判所の中でも今も起きていることです。
 
ある一例をご紹介します。強制性交の被害を受けた女性が、被害の翌日、友人から強く勧められて救急外来に行きました。過呼吸になって、嗚咽しながら診断を受け、その結果、陰部に負傷があり、被害者が妊娠を心配したことから緊急避妊薬が処方されました。警察に被害を通報したけれども、涙を流して震えるばかりでした。
それでも被害者は様々な形でその被害を申告し、遂に裁判となりましたが、結果として、裁判所は、被告人と被害者の間に性交があったとは認められないし、被害者が性行為に同意していたとして被告人を無罪としました。
裁判所では、被害者が「声を出せる状態であったのに」、「性交されるかもしれないという段階に至ったにもかかわらず」、「大声で助けを求めるような行動にも出なかったというのは不自然」、「逃げられるタイミングがあったのに部屋からも逃げようとせず」、「目を覚ましたとき、被告人と部屋に二人きりになったことに気づいた時点で部屋を出なかったこと」も、「初対面の異性の被告人を信頼し過ぎであり」、「被告人に全く男性としての好意を持っていなかったのか疑問」と公判の中で裁判官は述べたそうです。このようなことを持って被害者が同意していたとみなすことは、余りにも被害実態からかけ離れたものであるかは、説明するまでもないことと思います。
このように、抗拒不能の判断というのがいかに“ぽんこつ”であって、内心の判断というものがいかに、現実、こういう形でなされているのかということを私はこの判例を見ながら思いました。
 
夫婦間における性暴力に関しても、今回の法改正で明文化することに疑問を持つ人が少なからずいるようです。とはいえ、幾ら夫婦であっても、自分の身体は自分だけのものですから除外することはできないと思っています。現に、私の友人でも、夫の性行為の誘いを断ったがためにクレジットカードを止められたという人がおります。たとえ夫婦であっても、結局、立場の強弱は生まれています。
そもそも、私はここを強く思うんですが、男性と女性で性行為への向き合い方が全く違うと思っています。最近ですけれども、とある男性から、このようなことを言われました。
性交同意年齢を引き上げることに関して、「少年少女の恋愛が性愛に結びつくのは、純真と性の目覚めと好奇心等様々で、思春期の少年少女たちの行為、行動を一律に法的悪とすべきはない」と。一見ごもっともなことのように聞こえますが、「少年と少女」、いわば「男性と女性」の性行為の向き合い方を同列に語ること自体、大きな誤解があると私は思います。
国会という場で言うべきかどうか分かりませんけれども、言ってみれば、セックスにおいて、単に精子を出すだけで、その後に起き得ることに関して究極的に何ら責任を負わずに済む男性と、セックスの先には妊娠、出産という命懸けの行為が控え、体の変化はもとより、それからの人生が大きく変わってしまう女性とでは、性行為に対する捉え方が天と地ほど違うというのは当然のことだと私は思います。
したがって、女性にしてみれば、一部例外の人は除いて、性行為というものはかなり限定的に、消極的に行う行為であって、それにもかかわらず「中学生だって恋愛したら性行為をしたくなるはずなのだ」とか、「中学生と成人の間には真摯な性的同意はあり得るのだ」という、女性にしてみれば顎が外れるような勝手な思い込みが男性側からもっともらしく発せられているのが、悲しいかな、現状だと思います。
 
このように、強者と弱者、男性と女性で性的同意の認識が大きく異なるにもかかわらず、今までその違いが共有されることもなくここに至り、その結果として、一方が望まない性行為が往々にして発生し、多くの弱者や女性は深く傷つき、そして、本来であれば罰せられるケースですら、本人の同意があったのであろうとして、処罰されずに来ました。
 
今回の法律は、その意味において、ようやくそのような現状に対して重い腰を上げて、弱者を守るために、まさに弱者の声なき声を拾い上げるために提案された法律だと私は思っています。
 
もちろん、人を処罰する刑罰ですから、謙抑性は踏まえなければなりません。そして、明確でなければなりません。そのようなことは当然踏まえながらも、この法律は、性暴力に遭っても声も上げられず、その暴力によって汚れてしまったと自分を責め、その苦しみを乗り越えられずいる多くの人たちの声なき声を代弁する法律であって、年長者や力や立場が強い者の自己中心的な同意や思い込みに基づいて語られては断じてならない法律だと私は強く確信しています。
 
最後の質疑になるこの場において、私が長々とこの法律の持つ意味を語り続けるのは、ここ国会においては、性暴力によって味わったあなたの苦しみを少しでも理解しようとする者が集い、その犯罪による被害者を一人でも減らすよう、そして、もし不幸にも起きてしまっても、確実に加害者が処罰され、そのことによって受けた苦しみが少しでも減じ、回復につながるよう、知恵を絞り、問題点を改善すべく議論を重ねていた事実があることを、苦悩を抱え、一人で苦しむ人にいつか伝わるときが来るよう、永遠に残るこの議事録に、しっかりとその形跡とその意味を残しておきたいと思うからです。
 
今回の改正も、まだまだ第一歩だと思います。改善点は多々あります。これからも歩みは続くと思いますけれども、それでも、この一歩が社会にとって大きな役割を果たすことを立法者の一人として強く望みます。
 
与野党の皆さん、この法案は今国会で必ず成立をさせるべきです。そのための最後までの努力をしなければならないと思います。どのような理由があろうとも、この改正案の成立が遅れることは、新たに地獄の苦しみを味わう被害者を生むのだということを心に留めて、頑張りたいと思います。
 
そして、法務省を始め関係する警察や裁判所、行政府の皆さんには、この法律が成立した暁には、是非、弱き者の立場に立って、この法律の趣旨とするところを全うしていただきたいと心から望みます。
 
最後に、辛い被害に遭いながらも声を上げてくださった皆さん、そして、その被害者達を、寝食を忘れて懸命に支えられた弁護士や支援者、研究者、執筆家の皆様、中には、流れ星のたびに「刑法改正、刑法改正」と願いを込められた方もあると聞いています。様々な壁に拒まれながらも歩みを進めていただいたことに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。ここまでたどり着くことができたのも、このような方々の血のにじむ努力の結実だと思っています。
 
“One is too many”「被害者は一人でも多すぎる」
 
今後、自分がどのような立場になろうとも、ライフワークとして取り組んできたこの問題にはしっかりと関わり、法改正の意図するところが現場の隅々に浸透するように努力を続けていくことを申し上げ、時間となりましたので、私の最後の質疑を終わりたいと思います。
 
追記
写真は、法案可決後、修正協議を行なった自民、公明、立憲、維新の理事四名と法務委員長と。
男性だらけですが、男性が真剣に取り組んだことに、それは一つの意味を持つと思っています。

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